講師へのインタビュー〜その2〜

2019年2月2日 日本ユニバーサルボッチャ連盟理事長古賀稔啓先生インタビュー

ボッチャとの出会いを聞かせください

 

ボッチャに出会う前は、脳性麻痺者を中心とした陸上競技の選手を指導していました。

1993年、イギリスで開催された「国際脳性麻痺障害者スポーツ大会」に当時指導していたクラブチーム(障害者の陸上クラブ)を率いて参加しました。その大会は、世界中の脳性麻痺者が集まるスポーツ大会で、重度の脳性麻痺者の参加できる競技も用意されていました。大学の寄宿舎を選手村にして様々なスポーツ体験ができるのも魅力でした。その中に重度の障害者が参加できるボッチャがあり、肢体不自由の特別支援学校の生徒たちにぴったりのスポーツであると実感しました。これがボッチャとの出会いです。当時、日本の障害者スポーツは軽度の障害者を対象にしており、重度の障害者のためのものではなかったので、私はぜひ日本に紹介したいと思いました。

 

ボッチャをどういう形で日本に導入しましたか

 

特別支援学校の体育の時間に取り入れたところ、卒業後もボッチャを継続してやりたいという声が多く聞かれました。そこで、1995年に加わった渡辺先生他にイギリスで講習会や競技に参加してもらい、1997年に競技ルールを独自で翻訳して日本ではじめて「千葉ボッチャ選手権大会」を開催するに至りました。その時、参加者は全国から集まりました。

 

199712月に「日本ボッチャ協会」を設立したことで全国組織となり、1999年に「第1回日本ボッチャ選手権大会」を開催しました。そこから将来のパラリンピックの選手を出すこともできました。

 

ボッチャは誰でも参加できることが魅力です。パラリンピックとしての競技スポーツとしてだけでなく、高齢者を含め、広く誰でも参加できるスポーツとして普及させる目的で「日本ユニバーサルボッチャ連盟」を設立しました。そこでは目線を変えて、参加者の実態に合わせたルール作りをしています。

 

ボッチャに参加した障害者の様子を具体的に聞かせてください

 

スポーツとは無縁だった重度の障害者でも、個々の能力に合わせた道具や指導法でボッチャを続けていると、技術面だけでなく意欲や集中力といった精神面でも進歩が見られるようになります。自発的な動きが見られるようになったり、声が出せるようになり、積極的に他の人とコミュニケーションをとるようになったなど、色々な変化が起きています。それは、スポーツをするという前向きな姿勢がそうさせるのです。この姿勢は実生活にも生きています。

 

例えば、障害に応じた投球方法を考えたり、顎と肩に挟んだり、足の指でつかんだり、ボールが投げられない場合はランプ(勾配具)を使って参加することもできます。

障害があっても個々の能力を生かす方法を使い、不可能と思われていたスポーツに自分主体かつ自分の意志で参加します。障害者は消極的になりがちですが、スポーツで積極的に参加することを積み重ねると、いろいろな機能が活性化するのです。

 

ボッチャの将来性について聞かせてください

パラリンピックでは障害の重い選手が行う競技ですが、競技の枠を超えて障害の有無にかかわらず行えることができるのが「ユニバーサルボッチャ」です。

 

またボッチャの参加形式です。健常者と様々な障害を持つ人達が一緒に参加できる形のボッチャは理想的です。健常者が障害者とかかわることでお互いを理解する機会になるからです。障害者スポーツは、まず障害者を理解することが一番大切です。

その他、障害者とその家族の形式、親子3世代の形式、企業内の社員交流形式など、参加形式の枠を広げることで様々な効果が期待できます。

 

現在、地域で行える高齢者スポーツ等にもボッチャの普及に力を入れています。ぜひ地域で活動できるボッチャの指導者も増えていってほしいと思います。そしてメディアを通して知名度が上がることを願っています。